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「限りある時間の使い方」 の感想・レビュー

多くの人にすすめられて読みました。良い本でした。

タイトルはいわゆるタイムマネジメント本のようですが、どちらかというと哲学書に近いなと思いました。私もそうでしたが、タイトルで毛嫌いして読んでいない人がいたらぜひ読んでほしいです。

この本の一貫した主張は、

  • 時間を有効に使おうとする
  • 予定をコントロールしようする
  • すぐに結果を求める
  • 自分に大きなことができると思う

のようなことはほどほどにして(やるなとは言ってない)、自分の限界を知り、ありのままの現実を直視し、自分のできることをコツコツやろうということです。

物事に対するアプローチを変えるのでは、物事の見方を変えようということです。そういう意味では、これは水です に近いものがあります(私はこのテキストを今でもたまに読み返します)。

子育てで時間がないと思っているような同じパパ・ママに読んでほしいです。私も妻に勧めました。

読書メモ

産業革命と時計

産業革命は、時計なしではけっして起こりえなかった

時計があることで時間あたりの労働力が計算できるようになり1時間あたりの生産性が計算できるようになった。

それにより、もっと効率的に、もっと生産的にというような圧力がかかるようになった。

しかし、効率化というものを追い続けるかぎり、効率化すればするほど、効率化して余剰に対して別の使い方ができるだけ、永遠にこのレースに終わりはこないのである。

同じような状況が家電と家事の関係にも言える。

この100年の家電は驚くべき進歩をとげそれによって多くの余剰な時間を生み出したはずである。

しかし、まったく家事が楽になったと言えないのは、その生み出した余剰時間で別のことをし、さらには家事に期待値レベルが上がっているからである。

注意力と人生

注意力とは、生きていることそのものだ

注意力を、お金や電気や食べ物など同じように扱うのは間違っている。

人生とは、自分が注意を向けたものの総体であり、それ以外の何ものでもない。

人の話を聞いているときにスマホをみる、子どもとの時間に他のことする、夜な夜なSNSやYoutubeに時間を費やすことは、人生からそれらのことを奪っている。

このことこそがデジタルに時間を奪われることの問題なのだ。

冷水を浴びる修行をしたときに得た気づき

むしろ意識を集中させて、強烈な冷たさを全力で感じたほうが、苦痛が軽減されるのだ

宗教による苦行の類は同じ論理で設計されている。つまりは集中することを訓練する。

赤子の夜泣きをなだめているとき、つまらないアルバイトの時間、顧客から叱責されているとき、このような場面では多くの人が思っているときは「早くおわってくれ」であろう。

しかし、この戦略がまちがっており、目の前のことに集中することこそが、その苦痛から逃れる唯一の方法なのだ。

時間をかけろ、すぐに結果を求めるな

「そりゃ、あんたが時間をかけてないからでしょう?」

自転車や修理やPCのセットアップ、人はできないとすぐに諦めてしまう。

本来必要なことは、自分に過大な期待はせずにこつこつとやることなのだ。人間は問題を最速で解決したがりすぎ、すぐに解決できないとわかると諦め、イライラする。

苦痛を直視し、自分の限界を知り、ゆっくりとやるのだ。

デジタルノマドの憂鬱

デジタルノマドの憂鬱

デジタルノマド的な働き方は、自分の時間の柔軟性、自由度を高めようという趣旨だ。

しかし、完全に自由であるということが時には孤独を生む。

フレックス制、フルリモート、これは時間的自由度・柔軟性を高めようとする制度だ。しかし、これらで出来た余剰時間を有効に使う必要があるし、時間がネットワーク財であるということを忘れている。

希望を捨てることが始まり

希望を捨てることは肯定であり、始まりの始まりです

時間の使い方をコントロールできる、問題はすぐにできる、自分は多くのことをこなすことができる、などという希望は捨てることだ。

逆説的だが、時間をコントロールすることを諦めることが、長期的な時間の有効な使い方につながるのである。

しかし、今を生きようとしてはいけない

むしろ「自分は今ここにいる」という事実に気づくことだ

今を生きようとするのは、頑張って眠ろうとすることのようにうまくいかない。

これは時間を有効に使おうということの別のバージョンであり、結局は同じことなのだ。

今ここにいることに気がついた、という体験は一生忘れない。