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書評: 「流通王 中内功とは何者だったのか」の感想・レビュー

ダイエー創業者の中内 功の、ダイエー創業からその終焉までの軌跡を懇意にしていた記者がまとめた一冊。めちゃくちゃおもしろかったです。

セゾンの堤さんが貴族階級なのに対して、中内さんは戦争から命からがら帰ってきてダイエーを創業した叩き上げなのですが、その対比がまた面白い。堤セゾンが文化形成などどかかハイソなのに対して、ダイエーはとにかくやることが泥臭く、肉を安く売るために牛を育てるところから手掛けたり、あの松下幸之助ひきいるパナソニックと価格設定で揉めてバチバチの戦いを繰り広げたり、流通革命のために徹底的にやるところはまさに狂気という感じでした。

ただ、借金による事業拡大をやりすぎ、バブルの崩壊とともに傾いていくところは皮肉なものです。

とにかく庶民のために、大衆のためにというその理念と揺るがない志を知ることができ、事業への向き合い方や生き様という意味で非常に学びの多い一冊でした。うちの会社もこうありたいものです。

読書メモ

勇ましく死ぬことはやさしい

耐えて耐えて耐えたやりぬいたときにこそ大きな仕事ができる。

死ぬ、やめる、転職するのはたやすいがやめずにやり続けることは難しい。

勇ましく死ぬことはやさしいが、恥辱を忍んで生きることはむずかしい。『散りぎわをいさぎよく』なんて考えを踵にくっつけているかぎり、ろくな仕事はできないし、生きがいある人生は送れない」

何に人生をかけるか

中内 功 ですらこう考えていた。何ににロマンを見いだすのか真剣に考えなくてはならない。大きな課題に取り組むべきである。

「三つのどれをやっとっても、金は儲かったと思うね。パチンコ王とか、ソープランド王とか、サラ金王になっていただろう。しかし、僕はいちばん儲からんスーパーマーケットを選んだ。心がまったく動かなかったと言えばウソになるが、でも、それではあまりにロマンがないやろ。  それと、死んだ戦友に対して、なにか後ろめたさがあってね」

一日信用貸し

流通でちからを持っていればかなり儲けを出せるおもしろい仕組みだと思った。

その頃、平野町界隈の問屋街には、商品を渡しても、その日一日は代金を請求しない「一日信用貸し」という不文律があった。サカエ薬品はこれをフルに活用したのである。顧客の希望する商品を仕入れると、その日のうちにさばいて現金を回収し、翌日問屋に支払うという商法をとったのだ。これなら大きな資金はいらないし、一つひとつの商品の利幅は小さくても、多くの量をさばいて回転させることで、大きな収益を生むことができる。

マーケティングとは

現代風に言うと、お客さんが言う前にという感じだろうか。こねくり回しがちなマーケティングの本質として思い出したい一文。

「たとえばマーケティングに関しても、大学の先生が講義した後で松下幸之助はひとことで言っている。『要するにお客さんの言うように、お客さんが欲しがるようにすりゃいいんだ』と。これがマーケティングだというように、小学校出の人にかかれば簡単なわけだ」

10%理論

まずは10%程度のシェアを持てば発言力が出てくる

「ある製品について一〇パーセントのシェアをダイエーが持てば、メーカーに対する影響力が出てくるだろう」と、中内は考えた。これを「一〇パーセント理論」という。

秤売で楽しくなる仕組み

ちょっとした特になる仕組み

そこで、最初に袋に一八〇グラムぐらい入れ、そこに少しずつ足していき、しかも、ほんの少しだが、秤の目盛りが二〇〇グラムを超えるぐらいにするというやり方に変えたのだ。これだけでも、客はかなり得をしたような気分になる。

儲かると儲ける

事業を造っていれば勝手に儲かるし、商売をしていると儲けるように工夫しないといけない。儲けるような知恵を絞っていたらそれは商売をしているということであり、事業家的には危険信号なのかもしれない。

「〝儲かる〟と〝儲ける〟では意味が違う。僕は、儲ける商売をやるつもりはなく、無理をしなくても自然に儲かる企業を目指している。僕は、商売人ではなく、商人なのだ」

経営者に必要な資質

この先の世界がどうなっていくかを見通し、その中で自分がどういう役割を果たすのかを考え、それを多くの人を巻き込んで実行していく力が、事業をやる経営者には必要である。

経営者の場合も同様である。私は、経営者に必要なのは使命感と先見力、洞察力、指導力だと思う。

権威は文化ではない

今のアニメなどがそうだと思う。アニメはもはや万人がみるようになりカルチャーではなくなりつつある。そうなると次第にいかがわしいものやられなくなる。いかがわしいところにビジネスが生まれるのは本当にそうだと思っていて、インターネットも最初はいかがわしかった。

文学でも演劇でも音楽でも、メジャーになるまでは「いかがわしい」と言われる。そのいかがわしさが文化をつくる。いかがわしくなければ文化は生まれないし、そうして生まれた文化も、メジャーになった時点で文化ではなく権威になる。権威は、もはや文化ではない──。中内は、このように考えていた。

アメリカで形式知が進んだ理由

アメリカは人種、言語、習慣、文化、宗教、風習などが異なるさまざまな民族を受け入れてきた。こうした多くの異民族が集まってひとつの国家を形成するためには、どうしても言葉や文化などの違いを克服するためのシステムをつくる必要があった。これが、アメリカでとくにシステム化が進んだ要因だった。

以前インターネットが発達したのは、それが形式知化を増幅する装置だからであるという話を思いついた。これはこういった文化的な背景があったからのように思う。

インド、中国は言わないと負ける文化で、アメリカとはじゃっかん違う文脈なのだが、どちらにせよ形式的にしっかり発信する必要がある文化がインターネット時代では強い。

では、暗黙知につよい日本人がこれからの時代で勝つにどうしたらよいのだろうか。

仕組み化と人

仕組みが先なのか、人が先なのかという議論がよくあるが、私としては仕組みが先だと思う。仕組みがあり、それに適した人がおり、その中で人が成長していくのである。

これは人をないがしろにしてるわけではなく、むしろ定められた仕組みの中でしっかり育てようという考えである。

しかし、その最初の仕組みをつくるのはやはり人間であり、その仕事をするのがリーダーである。

店は店長の考え方や人柄で動くのではない。店長という機能で動くのである。だから、誰が店長をやっても、機能としての店長だから店は自然と動く。

教えを解いて人を育てず

よく言われる日本型教育の弊害みたいな話。VUCAの時代には合わないのだろう。ただし、これは一元論的な話で終わらせてはならず、一方向に向かって突き進める組織が強い瞬間もあるので、変化を受け入れて、決めたら突き進める組織が強いのだろう。

本来、優れた能力とは単なる頭のよさではなく、新しいものを創造するクリエイティビティだと思うが、それよりも教師が求める解を出す能力に長けている若者ばかりがダイエーに集まってきた。

「創成」、創業と守成

多くの本で出てくるテーマ。この2つは明確に分けていくべきなのだと改めて思わされた。ダイエーに関していうと守成をおろそかにしたし、多くの日本企業は創業をおろそかにしている。

「創成」とは、『十八史略』に出てくる「創業と守成といずれか難き」という言葉からつけたものである。  中国・唐の第二代皇帝で、「貞観の治」で知られる名君・太宗が、あるとき、「事業を始めること(創業)と、いったんできあがった事業を保ち守ること(守成)では、どちらが難しいか」と、侍臣に問うた。

事業をやろう

痛烈で笑った。自分はしっかり事業をやっていこうと思った。

「金儲けをしたい」と考えている経営者は星の数ほどいるが、彼らの多くは、一株いくらで株式を公開し、公開によって得られる何十億円、何百億円の上場利益を手にしたらそれでおしまい、である。ジャパニーズ・ドリームでも実現したような気分に浸るのだろう。「そのあと、どうするの?」と訊きたくなるような人ばかりだ。それなのに、取ってつけたように「社会のために貢献したい」などと言う。