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書評: 「暇と退屈の倫理学」の感想・レビュー

仕事が忙しかったことと、なかなか感想を書きたくなるような本に出会えなかったため、間が空いてしまいました。暇と退屈について真剣に考察した哲学書です。暇と退屈というテーマも非常に興味深いです。

本筋とは直接関係ないのですが、人類が定住を目指していたのではなく、移動できなくなったからやむを得ず定住し、その結果として農耕を始めたのだという考えは興味深く感じました。多くの歴史書では、農耕技術は重要な技能として描かれていますが、この本ではそうではなく、やむを得ず始めたものだと主張しています。そもそも遊動生活をしていたら、農業のような厳しい環境と天候の変動に対応しなければならない仕事を誰が喜んで始めるでしょうか。この主張にはかなりの説得力があると感じました。

そして興味深いことに、人類は定住することで退屈を回避し始めたというのです。遊動生活、つまり常に住む場所を変える生活は、新しい環境に適応する必要があり、脳をフル活用しなければならないので非常に大変です。定住した結果、この適応力を常時必要とする環境が失われ、暇を持て余すようになりました。退屈が生まれ、その退屈を避けるために宗教や研究、商売といった活動が生まれたという考えです。これは先日読んだ「GO WILD」という本の「人間は遊動生活に適応している」という主張とも一致しており、納得感がありました。

この本の主張の要点は、人間は退屈を回避するために様々な行動を起こしている、ということでした。特に印象的だったのは「決断の瞬間は狂気である」という言葉です。私の持論として、人は本当に決断する必要のないことまで決断しすぎていると思います。多くの場面で、情報を集めたり待ち構えることで論理的な判断が可能なものを、不完全な情報のもとでの決断に追い込むことが多く見受けられます。特にスタートアップの世界ではこれを度々目の当たりにします。決断という行為はアドレナリンを放出させるもので、スタートアップのような環境で働く人々はその感覚に引き寄せられるのかもしれません。しかしながら、後に冷静に振り返ると、その決断が本当に正しかったのか疑問に思うことの方が多いです。これもすべて退屈と暇が原因であると考えると、暇と退屈は実に罪深いものだと感じます。